「仁政に不可欠な惻隠の情」
古来、愛や寛容、同情、憐憫というものは、文学や道徳、哲学、宗教などいずれの観点から言っても最も根本的な観念の一つであった。とりわけキリスト教文化圏では、この観念をめぐって、あらゆる思想が展開した。実際、これらの観念は指導者に求められる最高の徳といってよい。
東洋にも「仁」「慈悲」という思想があり、孟子は「惻隠の心は仁の端(はじめ)なり」と説き、「人を慈しみ哀れむ同情の心」から「愛」への展開を論じている。また、墨子も「天下互いに兼愛すべし」と主張し、新族と他人を区別しない「平等の愛」を唱えた。
(中略)
また「王は国家の第一の召使である」と唱えたヨーロッパ・プロシアの名君、フレデリック大王や、「国家人民の立てる君にして、君のために立てたる国家人民には無之候」と宣言した米沢藩主・上杉鷹山の例を見ても、政治指導者に求められているのは、まさに「仁政」であり、「惻隠の情」であることがわかる。